先覚者 田中英之 先生について

2018年(平成30年)10月8日 FPフェア2018 会員交流会にて(東京・東京フォーラム:日本FP協会)

左から(肩書きは当時)、樗木裕伸チーフ、伊藤宏一専務理事、田中英之相談役、白根寿晴理事長、佐藤益弘代表

田中英之元日本FP協会副理事長との思い出に   伊藤宏一

  • 2019年(平成31年)1月9日 東京・銀座「金沢」にて・・・(左から)代表佐藤益弘、田中英之先生、伊藤宏一先生

田中英之氏は、我が国でファイナンシャル・プランナーを真にプロフェッショナルな職業として確立することに情熱を注がれた指導者でした。

日本FP協会設立、CFP資格導入、そしてFP教育研究所を立ち上げられ、所長として職業教育に尽力されたこと、これら全てが職業としてのFPの確立のためであったと思います。

FP教育研究所は1999年に創設され、佐藤さんをはじめとした志のあるFPが集って、様々な実務的研究活動に取り組んでいました。
そうした中、2年後の2002年5月、FP技能士試験がスタートすることになりました。

これは前年に厚生省と労働省が一体化されて厚生労働省が誕生し、それまで労働省が認定していた金融事情財政研究会の金融渉外技能審査が廃止されて、国家資格としてのFP技能士が誕生したことによるものでした。

FP技能士の英文名は、当初Skilled Worker of Financial Planningであったことからもわかるように、この資格の内実には、金融機関の渉外担当の労働者として、個人顧客に融資や金融商品を販売するための渉外技能を審査するという基本性格がありました。

ですから、実際には、顧客のファイナンシャルプランを作成する義務はなく、継続教育義務もなく、倫理規程を適用して、全ての有資格者に対して倫理規定遵守をチェックし、場合によっては処分する、ということもありませんでした。

また1級から3級まで3段階のグレード付けをしました。一般に弁護士や税理士そして医師などのプロフェッショナルの国家資格には、等級はなく、継続教育義務があり、倫理規程遵守もあるわけで、そうしたことが専門家つまりプロフェッショナルの基本的要件であるのです。

現在は、英文表記は、例えば1級FP技能士であれば、1st grade Certified Skilled Professional of Financial Planningとされ、当初のWorkerがProfessionalに変わっていますが、知識とSkillつまり技能に力点が置かれていることは変わらず、倫理規程も罰則規定もなく継続教育義務もない資格がProfessionalな資格であるかは、かなり疑問です。

FPをグローバルに考えれば、国際社会で通用する唯一のFP資格は、CFP®資格のみです。ですから米国では過去も現在も、FP=CFP®なのです。

日本FP協会は、既に1992年に米国の現CFPボードと提携し、日本へのCFP®資格制度導入が決定し、それまでの日本FP協会の会員資格をAFPとしていました。2001年には、両資格を合わせて、日本FP協会の会員数は、10万人を超える急速な拡大をしていました。
その中でのFP技能士資格の誕生、という状況の中、日本FP協会も、FP技能士資格の問題点を理解しつつも、FPの社会的基盤を広げる点を評価し、FP技能士資格の指定試験団体となったのです。
いずれにしても問われていたのは、FPのプロフェッショナルとしての職業能力をどう考えるか、どう培うかという問題でした。

そして、まさにこの問題に取り組んでいたのが田中英之所長を中心とするFP教育研究所だったのです。

ところで、2000年5月にFP教育研究所の季刊誌『FP Review』Vol.1が発刊されました。私は主任研究員として「パーソナルファイナンスとFP」と題する論文を書きました。

それから2ヶ月後の同年7月、日本FP協会の『FP総論』初版が発行され、我が国におけるFPの理論的基礎が確立されました。私は、この『総論』の理論的部分の執筆をさせていただきましたが、その内容の基礎は、『FP Review』Vol.1の拙論で、中心問題は、パーソナルファイナンスとライフデザインというコンセプトの正確な規定と我が国のFP理論への導入でした。こうしたことも含めて、FP教育研究所は日本におけるFP理論の確立に貢献したと思います。

田中所長は、私のこうした理論的関心にご理解があったと同時に、ご自身も哲学的・倫理的な関心が深く、その一端はご著書『FPビジネス進化論』(近代セールス社2004)に表されています。そうであったからだと思いますが、私はFP教育研究所で「ライフプランの哲学」という講義をさせていただきました。生とは何か、死とは何か、幸福とは何か…などを展開したこの講義には佐藤さんを始め熱心に聴講された方がおられ、講師として充実した時間を過ごすことができました。

―こんなことがありました。雪がちらつく冬の日の夜、東京証券取引所で東京支部のセミナーが行われ、私は講師としてお話しさせていただくことになり、会場に向かったのですが、到着すると、玄関前に田中さんの姿があり、普通に並んでおられました。驚いて声をかけ、しばし談笑しました。日本FP協会の会員である誇りを胸に秘めたこの謙虚さに、ただただ感服するばかりでした。

生涯一職業人として誇りあるCFPの立場を貫かれ、後輩の指導や研鑽を積まれたと思います。永眠される前年のお正月、私はどうしても積年のお礼がしたくなり、銀座の金沢料理店で、佐藤さんと共に三人会食させていただきました。

2021年、コロナ禍が続く中で、我が国のFPは、生活者の経済的側面の支援の質と量を一層高める課題に取り組んでいます。本当にプロフェッショナルなFPが多数活躍し、急速な少子高齢化、気候危機、格差の進行といった中で、一人一人の生活者の幸福の支援ができることを目指し、田中英之氏の意思を継いで、私なりの分野とスタイルで精進していきたいと思います。

FP黎明期、田中英之さんとのご縁   FPウオッチャー 岡本英夫

田中さんとはじめてお会いしたのは1984~5年頃だったと思います。

金融専門出版社である近代セールス社の編集記者だった私は、わが国のFPの方向性を探ろうと取材活動を続けていました。その中で三和銀行のホームコンサルタントに着目し、取材を申し込みました。そのとき、2名のホームコンサルタントとともに取材に応じてくださったのが、三和銀行東京店頭営業推進センター所長だった田中英之さんでした。

当時、三和銀行ホームコンサルタントといえば「挙式前後の出納簿」「子供の教育に関する意識調査」が有名で、昭和から平成10年ごろまで、FPにとってライフプランニングに欠かせない調査資料でした。取材の席で「ホームコンサルタントは、信託銀行の財務コンサルタントと並ぶわが国FPの一形態では?」とたずねると「君はFPを知っているのか」といわれ、意気投合したことをおぼえています。

次にお会いしたのは、1986年秋のことでした。三和銀行が㈱エスエーサービスを設立し来店型FPショップ「プラザ21」を展開しはじめたときです。新橋店の武田米生店長を取材したのですが、同席されたのが㈱エスエーサービス社長の田中英之さんでした。「またお会いしましたね」というわけです。その後、八丁堀にあった本社をたずねるようになり、近代セールス社が受託した金融機関のFP講座の講師をお願いするようになりました。

1988年、近代セールス社は「FP手帳」の制作を企画します。目玉はFPの6分野を網羅した資料編です。このとき、ライフプランニング分野の資料提供を㈱エスエーサービスに依頼します。田中社長から資料提供者して奥山隆憲FPを紹介していただくとともに、いくつかのアドバイスをいただきました。1989年発売の「FP手帳」は、現在まで続くFPの必要アイテムのひとつになっています。

田中さんは、その後、日本FP協会の運営に尽力されますが、私がたびたび田中さんをたずねるようになったのは、事務局が虎の門実業会館に移った1993年からです。この年にCFP®資格試験が導入され、翌94年には「第1回FPフェア」が開催されますが、当時編集長をつとめていた『Financial Adviser』 誌に合格者名簿を掲載、FPフェアにもパネラー及び出展社として参加させていただきました。

1999年、田中さんはFP教育研究所を設立されます。事務所が同じ東中野ということもあって、頻繁に行き来するようになります。ここで、「田中さん、一冊本をお書きになったらいかがですか?」ということになり、2003年発売の「FPビジネス進化論~FPを目指す人たちへのメッセージ」が出来上がります。発売後、銀座で出版記念パーティーを開催しましたが、多くのFPが参集する機会となりました。

最後にお会いしたのは、2018年10月のFPフェアでした。ご挨拶程度の会話しかできなかったのですが、明るい笑顔が印象に残っています。

なお、私がFP関連の原稿で使用する「FPウオッチャー」なる肩書は田中さんからいただいたものです。「そういう視点で書ける数少ない人だと思うよ」ということでした。2000年ごろから使わせていただいています。

以下は「FPビジネス進化論」に掲載された田中さんの経歴です(出版当時の記述に少し手を入れています)。

田中英之(たなか・ひでゆき)
1933(昭和8)年10月1日生まれ。1957(昭和32)年、立命館大学法学部卒業。三和銀行入行。1965(昭和40)年、㈱ニューオリエント・エキスプレスに出向。1972(昭和47)年、㈱ジェットツアー(取締役)に出向。1974(昭和49)年、トラベルジャーナル旅行学院の設立に参画、取締役に就任。1975(昭和50)年、三和銀行に復職後、支店長や店頭営業推進センター初代所長などを歴任。1986(昭和61)年、三和銀行を退職。㈱エスエーサービス「プラザ21」を設立。代表取締役に就任。1987(昭和62)年、日本FP協会を設立、初代理事に就任。さまざまな役職を歴任後、1999(平成11)年、学校法人森谷学園・FP教育研究所を開設。

FPのレジェンドと共に… フロンティアを目指した その遺志を引き継ぐこと

  • 2015年(平成27年)5月15日 田中先生と 代表佐藤・・・ 翌日、共に講師に立つ 日本FP協会鹿児島支部研修 の成功祈願(鹿児島・霧島神宮)

田中英之先生は、日本の独立系FPの草分け的存在です。

伝説と化している 独立系FP会社のパイオニア 「プラザ21」(株式会社エスエーサービス)を1980年代に立ち上げられ、日本FP協会(当時は任意団体)の創立メンバーとして活躍。

CFP®資格の導入によるFP資格の認知と普及に努められるとともに、阪神淡路大震災時に副理事長(理事長代行)の重責を担われ、FPの地位向上にも積極的に努められました。

日本FP協会の要職を歴任・退任後、1999年に、ビジネスに堪えうる「教科書通りのFP」人財=実務家FP育成のため、学校法人森谷学園内に「FP教育研究所」(東京・東中野)を立ち上げられ、後進の育成に尽力されました。

人望も篤く、当時の主任研究員の中には、現在の日本FP協会理事長でいらっしゃる 白根寿晴さん や 専務理事の 伊藤宏一さん、監事の 有田敬三さん など蒼々たる方々がいらっしゃいました。

私も1999年にCFP®資格取得後、当研究所で複数のFP実務教育講座を受講し、田中先生はじめ主任研究員である多くの優秀な諸先輩に出会えたことが、独立系FPとして歩むきっかけになりました。その第一歩として、会社員の時に 同研究所を拠点に 日本FP協会公認スタディーグループ「e-SG(現e-SG京浜)」を立ち上げさせて頂きました。

2000年の独立当初は、FP関連企業の立ち上げに参画しながら、同研究所の初代インターンとして2年半の間、田中先生や主任研究員の方たちから多くのことを学びながら経験を積ませて頂いたことで、多くのチャンスにめぐり逢い、現在に至っています。

身分不相応だったのですが・・・、2006年に弊社:株式会社優益FPオフィスを立ち上げる際に、田中先生に相談役就任の打診をさせて頂きました。その際、「教科書通りのFP」=CFP®・AFPを中心とした実務家FPとして、田中先生と共にニュービジネス≒ニューフロンティアを模索&構築することを条件に、快諾を頂き、とても嬉しかったことを昨日のことのように覚えています。

「心は形を求め、形は心を進める・・・」というFP20訓の具現化として、2007年に実務家FPの融合を目的に「マイアドバイザー®」を立ち上げました。

ただ、残念なことに登録メンバーによる複数の不祥事が発生し、2021年4月現在 休会中ですが、それらの不祥事発生の際にも、不屈の精神で対応にご尽力頂きました。

その後も、難しい問題が発生する度、弊社相談役としてご指導ご鞭撻を頂き、亡くなる直前まで、田中先生ご自身が「教科書通りのFP」≒「ライフプランFP®」の ファーストペンギン として 道無き道を切り開かれ、私たち後進の者を導いて頂きました。

2020年(令和2年)7月26日、生涯現役FPを貫かれた 田中先生は永眠されましたが、ご遺族の了解の下、その遺志を後世に伝えるために、本ホームページにて、簡単ではありますが、田中先生の偉業をしたためさせて頂きました。

2021年(令和3年)7月吉日 株式会社優益FPオフィス 代表取締役 佐藤益弘

田中英之 先生 との思い出

  • 2012年(平成24年)7月22日 「マイアドバイザー®・実務家FPスキルアップセミナー2012)」(主催:株式会社近代セールス社(FP事業部)・東京都大田区) 開催前 関係者集合写真

  • 2013年(平成25年)11月9日 日本FP協会石川支部研修にて(石川・金沢)

  • 2014年(平成26年)5月17日 田中先生と 代表佐藤・・・日本FP協会鳥取支部研修の前に(鳥取・鳥取砂丘にて)

  • 2016年(平成28年)10月7日(FPフェア前日) マイアドバイザー®年次総会 in 大阪 ~毎年、FPフェア開催日の前日に開催地で実施

  • 2016年(平成28年)10月7日(FPフェア前日) マイアドバイザー®懇親会 in 大阪  ~毎年、FPフェア開催日の前日に開催地で実施